どんな状況であれ、今を乗り越えたものが最幸であり幸せに近づく。

自分の生い立ちや環境、周りを「ついていない」「不運だ」と感じたまま

大人になっている人は多いものだと気づく。

 

見た目は大人、中身は子どもの逆『名探偵コナン』状態。

 

 

理念を「愛と感謝で世の中をまるくする」を掲げているからこそ、

「愛」ってなんだ?ということについて、きちんと伝えていきたいし、

いろんな愛の形について知りたいと思う。

 

 

今日学んだのは「親の愛」。

 

 

母親の愛については、いろんな形があって、

私もおかげ様で親がいるからここまで生きてこれたと感じている。

 

 

 

我が家は「THE ライオンの子育て理論」を中心で育った。

ライオンの親は子どもが一人で行きていけるように崖から落とすこともある。

 

 

「親はいつか先に死ぬ」「一人で生きていかなければならないことがある」

「自立こそ最大の強さ」「過保護ほどバカなものはない」

と決して甘えることは許されず、強くたくましい子に育ててもらった。

今はそのお蔭で、しっかりと地に足つけて立てている。

 

 

が、その副作用?として「甘え下手」の女性になりすぎたとも痛感。

ありがたい大人たちから言葉を頂き、また新たな一歩を進んでいる。

 

 

 

女の子は少しぐらい、「ヌケ」がないと可愛くないよ。

若い子は完璧だと大人はちょっと意地悪したくなる人もいるからね。

 

 

 

はい。まさにそうです。

ここは素直に受け入れなくては・・!

 

 

 

本題に入ると、

愛があれば幸せか?というとそうではない。

愛の伴わない行動はただの無責任であると思っているし、

愛の押し付けはかえって人を育てないとも思う。

 

 

 

例えば、子どもを育てる時も(私は育てたことは無いが、自分の経験値として)

 

私は、大人が子を守りすぎていると経験値は増えずに、

考える子にはならないと思う。

 

最近、特に「考える」機会を大人が奪っているように思えてならない。

 

 

世の中が便利になる一方で、あえて不便な方が「考える」力を育てる。

 

 

 

私は高校時代は周りの同級生は親が送り迎えしている子がいるなか

1時間かけてチャリ走していた。往復2時間。

お金がなかったのでバス代を削ったのだ。

 

 

1時間かかるということは、逆算してこれくらいには外に出なくては行けない。

チャリでモリこぎすると、スカートがめくれる。

そうならないための漕ぎ方、座り方を工夫。

髪の毛が乱れるので乱れても再現性のワックスを探す。

 

 

 

でも送り迎えのある子は、親が迎えに来てくれるから

こんなアホなことかもしれないけど考えることはないと思う。

 

 

 

 

 

最近では素晴らしい言葉を学んだ。

 

 

岡崎にある産婦人科の先生の言葉。

 

=====================

子どもにはガラスのお茶碗を使いなさい。

割れたらどうなるか?

それがお気に入りのものなら、どんな気持ちになるか?

考えるでしょう。そうならないためにどうするか学ぶでしょう?

=====================

 

プラスチック製では落としても割れない。

また同じことを繰り返す。

 

そんなお茶碗一つとってみても、

「考える」という機会を大人が作り出していることに気づかなければいけない。

 

 

 

仕事もそう。

 

 

これをしたらどうなるか。

これを失敗したらどんなことが起きて、どんな結果が起こるのか。

先輩が手とり足とり過保護にしてはいけないこともある。

 

 

 

 

 

愛。

深い。

 

 

 

「バカばっか」とやさぐれていた学生の頃の私や、

もしいま、世の中にやさぐれている人がいたら伝えたい。

 

 

 

今の状態は自分が変えられるものじゃない。

不幸にフォーカスしても何も変わらない。

不幸自慢をしていたら不幸な人が寄ってくるよ。

 

だって、不幸は不幸を呼ぶからね。

 

 

一つ、確実に言えることは、それを乗り越えた人が強くなり、

人より人を思える人になるということ。

 

 

それを卒業するかしないかは、自分が決めること。

 

 

 

 

 

自分の気持ちの決断をするのは自分。

そしてその状況を経験として活かすも殺すも自分。

 

学ぶ大人になろう。

人のせいにする大人はカッコ悪い。

 

 

 

 

今日もがんばろう。

明日も顔晴ろう!